『セックス・アンド・ザ・シティ』

『セックス・アンド・ザ・シティ』

原題:Sex and the City

テレビシリーズ

1998年-2004年 アメリカ

映画

2008年 アメリカ 145分

2010年 アメリカ 146分

 

言わずと知れたこちらの作品。

約3ヶ月、初めて腰を据えて見ました。

うん、昔、テレビでやっていたのを少し見て、「これはなぁ…、」と思って、でも、当時すごい一部なんでしょうかね?なんか評価高かったですよね?話題になってただけ?かもしれませんが、一部見ただけで否定するのも…と、長い時間をかけて嫌いなものでも多少は受け入れられるくらい大人になった私は先入観を若干捨てて見てみました。Amazonプライム会員なのでタダで見られたし。

 

が…やっぱり苦手ですね…見てる期間、ある意味苦行でした。

 

ストーリーは…ストーリーは、そうだなぁ、キャリー、サマンサ、シャーロット、ミランダという4人のそれなりに成功しているNY在住の女性たちの人生を、特に恋愛とセックスに焦点を置いて描いた昼メロ、ラブコメディ、悲劇、色々あるドラマです。セックスといっても、確かにそういうシーンも多くありますが、行為というより、男女の温度差とかの、ジェンダー的な意味合いも強いんでしょうね、多分。

 

にしても、なんですかね。あるあるみたいな箇所とか、理想と現実の狭間でしんみりしている箇所とか、言いたいことは概ね分かるような気もしますし、およそ30分ほどの枠らしくテンポも良く、また、メタファーとしてある単語や現象がキャリーがドラマ内で書くコラムにリンクするという脚本も僭越ながら評価できる点であるとは思います。

しかし、いかんせん主要キャラ4人がどぎつい。くどい。うるさい。わがまま。で、可愛げがあまりない。

個人的に男女問わず自己肯定感の強すぎる人が苦手なのもあるかもしれませんが、アメリカのものすごい色をしたケーキやジェリービーンズを持ってこられてパーティを強要されているような。

もっと感覚的にいえば、昔輸入品のお菓子を買った時、パッケージのコップに注がれていたミルクが、表面張力働いてるんじゃないかくらいに、まさに“なみなみ”と注がれていたんですね。日本のパッケージならコップ7~8分目くらいに注がれていると思うんです。おいしそうに見える基準がもう違うのでしょうけど、その7~8分目の美が無いと思ったんです。おそらく、リアルな生態を描くことを目指してのことだと思うのですが、常にぶっちゃけた会話をしていて「汚い部分も見せちゃいます!」風なんだけど、やはりどこか中年のおとぎ話なのではないか?という部分も少なくなくて、そう思ってしまうとますます不信感が募って途中で意識が飛ぶような、で、見終わって振り返っても、本当に解決に向けて会話をしているのか分からない4人の同じような会話のリピートと、ワードが強烈な割りに突出して共感できるエピソードもなくという状況で、私の口には合わず、例えると、逆流性食道炎のようなドラマでした。

 

苦手意識が抜けきらなかったまま評価を語るのも変だけど、というか、私自身が人生において恋愛に重きを置かないことも大きな理由と思われますが、これが評価されたポイントが今ひとつ掴めず終いでした。

ひとつ良いことは、これは課題図書とか、推薦図書とか、今思えばなんですが大人になればなるほど、自分の感覚に近い本を選んで、読んで、安心するようになると思うんですね。

なので若い時期に自分の気持ちに近くない本でも知識として読んでおくのと同じように、「こういう考え方もあるんだな。」と勉強する気持ちで見るのも良いと思いましたし、自分の人生には役に立たなかったとしても、「こういうことを重要視して生きている人もいるんだな。」などと、他人の生き方に対する寛容さが深まったのではないかとは思いました。

でも、やっぱあこがれられないけど。

 

とりあえず、ビッグさんはドラッカーノワールの匂いしそうで、なんなら古めかしい理髪店なんかに写真が貼ってありそう。そして主人公の4人は幅とって歩きすぎ!

 

以上、『セックス・アンド・ザ・シティ』全作についてでした。

『ドラゴン危機一髪』

『ドラゴン危機一髪』

原題:唐山大兄

英題:The Big Boss

1971年 香港 100分

監督:ウェイ・ロー

 

人の指は人の身体を貫けるのだろうか?

これを観ると、いつも、そんなことを考えてしまいます。どうも、オレンジです。

 

リー×ゴールデン・ハーベスト第一作のこちら。

不況の続く香港からタイの製氷工場へ働きに来たチョウアン、働き始めて間もないある日、チョウアンのちょっとしたミスから、工場長に製氷工場とは表向きで、ウラで麻薬が取引されているという秘密を知らされた仲間の二人が行方不明に。正義感が強く、リーダー的存在であったホイが二人の身を案じて社長のもとへ行くと、一緒に社長宅へ行ったキョンと共に行方不明に。

4人もの行方不明者が立て続けに出れば、当然、皆、理由と居場所がわかるまで工場長の言うことなど疑ってかかるし、働けなどということに聞く訳もなく、一騒動。そこでカンフーの達人だと知られたチョウアン。社長の企みで工場の主任にされるが…というお話。

 

しかしこれはなんでしょうか、勧善懲悪のストーリーの中に所々変なものが混じっていますね、盛りだくさんです。

たびたび流れるオルゴール風の母さんとの約束BGM。

これね、喧嘩の場面でも空気を読まずに挿入されていて、正直、ちょっとくどいんですけど、慣れてくると、いかにもコレが挟まっていそうな場面で挟まってないと、ちょっとさみしいかもと思わせてくれます。

そんなんもあり、仲間も様々、お金もないのにイカサマの博打に手を出すギャンブル依存の気のあるやつもいれば、お調子者のいかにも気のよさそうなコンさんみたいな人もいて、とにかく仲間!人情!

ホイの妹ハウムイとの恋愛とも呼べないあわーーーーーいなにかがあったり、セクシー担当があったり。

んー、まぁまぁ、こういうのいいですよね…でも、闘いのシーンでスコーン!だとか、バイーン!だとかの音響とか、人型に抜ける壁とか、笑っていいのか?ええんのんか?!

 

他にも、意見は単刀直入!会話の駆け引きなんてしません。やられたらすぐに死ぬ!息を引き取る際の無駄な演技はありません。泣いちゃっても慰められたらすぐに泣き止む!同情する間もありません。

それなのに色気のシーンでそんだけ尺とるか?そっかー、ってね。

 

香港映画、本当にわかんない!

 

で、ここは私としての見所なんですが、声をあまり大にして言えないのだけど、リーの”まるで女を知らなそうなウブな青年”の演技がすごく良いんです!

紹介されたハウムイとまともに目を合わせなかったり、助けたハウムイの肩に手を乗せるも、危険が去るとハッと離れたり、これは別の意味も含んでいるかもしれませんが、悲しんでいるハウムイの肩を抱けなかったり。

そんな子供がいる人とは思えない新鮮な演技がすごく上手くて好きです。

…なのに、主任となり、工場長ときちんと話して、警察も頼って4人を探す!という目的をくらまされ、お酒を飲まされて、一緒にいた商売の女性がハウムイに見えて、でれーっと、で、そんな関係になっちゃって「リ、リー最低。」ってなるんですけど。

そのせいでハウムイにも、コンさんたちにも誤解されることになるんですが…

 

そんなチョウアン、母さんとの約束の思いを込めてつけていたペンダントが破壊され、やっぱりキレます。行方不明の4人の無残な姿を見て、更に更にキレます。そして、ここまでする必要があったのか?くらいに残酷すぎる仕打ちにとにかくキレます。

 

で、ザ・ビッグ・ボス!藤田まこと似の社長との対決です。

この社長が鳥かごをもって手下にまずチョウアンの相手をさせている間のポーズ…じゃないのかもしれませんが、ポーズが可笑しくて可笑しくて、本当に真面目な場面なのにすみません(笑)

その鳥かごをぽーんと木の枝へ投げ掛ける。チョウアンがその鳥かごを落とし、鳥を自由にさせる。リーの正義と、捕らえられたものの解放を表すようにも見えます。

ここからの社長との対決になると、緊張感たっぷりで、もう目が離せません。

まぁ、リーが主演である以上、こういうシーンは完全に見せ場なのでしょうけど、なんていうのかな、肉体一つと少しばかりの武器で戦うチョウアンは、もうひとりぼっちなんですよね。一人なら逃げても良いのに卑劣な相手と戦うっていうのが性というか、悔しさ許せなさみたいなものを強く感じるんです。

しかも、結構、若者の設定なのに、故郷の母は70を過ぎているだとかで、そこはまぁ映画ですし、せっかくの葛藤ですし、突っ込みたい気持ちを抑えておきますが、ここで逃げて母と貧しくとも平和に生きる選択もあったはずなのに!

嗚呼!と、もう、胸がいっぱいになりますよってに。

最後に裁かれるのも、正義なら人殺しても無罪という感じの映画とは違って、切なくて良いですね。

 

ちょっと私がいつも映画の情報を調べるのに利用しているIMDbというサイトで見た情報ですが、喧嘩シーンでは青や茶のパンツにTシャツと青いベルトをしているけど、シリアスな決闘シーンでは長袖のシャツに黒いパンツ、白いベルトをしていて、これには中国の文化が関係しており、白は死を表すという事らしいです。

そんなことも踏まえると娯楽映画としてだけではなく、理解が深くなる気がしますね。

 

というか、撮影の時にシェパードみたいの投げてないよね?と、そっちの方が気になるなーという感想を持ちつつ。

 

以上、『ドラゴン危機一髪』についてでした。

『八甲田山』

『八甲田山』

英題:Mount Hakkoda

1977年 日本 169分

監督:森谷司郎

音楽:芥川也寸志

 

「雪とは一体なんなのだろう」

 

1902年(明治35年)、本年2019年より117年前の今日1月23日は青森歩兵第5連隊が八甲田山での雪中行軍演習に出発した日です。

なので、今日は映画『八甲田山』の話など…。

 

…とは言ったものの、言葉で語り尽くせない気持ちで、これは観ていただかないと本当にわからないかと。好きな映画で何度も観ている私でも毎回心の中の原野が真っ白になります。だけど、こういうことが事実としてあったのだなと思うと絶句というか、それでも、人間として登場人物たちのようでありたいような、その結果はとても残酷なような… と、感じます。

そんなことを感じながらも、部屋の中で完全装備で温かい飲み物片手にこれを書いている自分を少しばかり恥ずかしく感じてなんだかなと…。

 

1901年(明治34年)、日本とロシアは切迫した状況にあり、日露戦争のまさに寸前でした。

日本と違いロシアは極寒零下数十度の中でも戦うことのできる国であり、そのロシアと戦うにはそれと同様のスキルを習得することが必要でした。

その他様々な過程を経、上層部は雪中行軍の演習を提案します。が、師団の命令ではありません、「雪の八甲田を歩いてみたいとは思わんか?」と青森歩兵第5連隊の神田大尉と弘前歩兵第31連隊の徳島大尉があくまで志願するというていで演習をすることになりました。

神田大尉は雪中での登山経験のある徳島大尉の元へ訪れ、装備などの資料を参考にさせてもらいますが、そこで打ち解けた二人の間に「雪の八甲田のどこかで。」という大切な約束がなされます。

命がけの雪中行軍、この、どこかで、という言葉の持つ意味合いは大きく、つまりは互いの無事を願う言葉なんじゃないかなと、私は思っています。軍隊というのは(この当時は特にでしょうが)死をもいとわない覚悟でいなくてはいけない。その軍人が、そう気負わず生きていましょうなんて簡単には言うことはできないことでしたでしょうから。

その後、年明けの1902年(明治35年)1月末、行程も部隊編成も対照的な二隊が各出発地から出発、青森5連隊は途中からたった2キロの道筋が開けず、雪の中で彷徨うことになる。

 

この話に関して、単純に司令部が悪いとか、誰が悪い、そもそも戦争が悪いとか、そういう感想もあるんですが、そうじゃない、誰も悪くないんです。きっと。

時代、戦争寸前の状況下であること、恵まれなかった天候、大自然、疲労や寒さにより鈍った判断。それらの悪条件が重なったところで起きた悲劇なんだと思います。

そしてこの時代の人間の痛々しいまでの純粋さも、この状況においては仇となり更に大きな悲劇になることに拍車をかけてしまったのでしょう。

本当に、今の時代に適当に生きている自分を省みると、簡単に涙を流すことさえはばかられるような映画です。

中でも、幼少の頃に離ればなれになった兄弟が各部隊におり、八甲田で出会うシーンでは、自分自身の体験とも少々重なり胸が詰まるような気持ちを抱きます。

 

時折、様々な季節の穏やかな風景、それを過ごした少年時代などの映像が挿入されます。こういったシーンにも大きな自然と人間の密接な関係や、ある場面での台詞である「人間ほど風土に影響されるものはない。」と言った言葉やその自然に挑む結果になってしまった、今の自分と自然の関係性が表されていると思います。

 

そして、安全を配慮して行われたとはいえ、この雪中行軍を再現した撮影も3年がかりでされており、この行軍のシーンに参加した役者さんたちもまた戦友と言えるなぁと感じています。

台詞を言おうにも口が回らない北大路欣也さんに高倉健さんが、しゃべる前に口の中にチョコレートとブランデーを含むと良いと教えたとか、棺の中の神田大尉との対面のシーンで、白い息が出てしまうので呼吸を止めていたので、まさに死にそうだったとか、それを見た高倉健さんの涙は本物だったとか。

また、白い地獄の中で我を失い、服を全て脱ぎ捨ててしまう兵士を演じた方は、身体にワセリンを塗り、そのシーン撮影に挑み、撮り終えるとすぐさま待機用のバスで手当を受けるという、聞いただけでもどれだけ過酷な撮影であったかを感じ取れるエピソードがたくさんあります。

もう役者さんにしても撮影そのものにしても、こんな規模の映画って取れないんじゃないかな。

前編に流れる芥川也寸志さんの音楽も、非常にこの映画の性格を理解されて造られているなと思います。

 

こんな事があった、そういった人々の犠牲の上に今の自分たちが生きている、今があるという事実を確認するためにも、とにかく日本人なら一度は観ておきたい映画です。

 

以上、『八甲田山』についてでした。