『素晴らしき哉、人生』

『素晴らしき哉、人生』

英題:It’s a Wonderful Life

1946年 アメリカ 130分

監督:フランク・キャプラ

 

こんなはずじゃなかった人生、それが捨てたものではないどころではない宝物だった。

そんなクリスマスにぴったりの心温まる映画。

 

小さな町で産まれ暮らし、世界を股にかけ、建築に携わり大きな街を造る将来を夢見るジョージ・ベイリーは情に厚く責任感も強く、その性質はソリ遊び中に冷たい池の中に落ちた弟のハリーを救ったことや、アルバイト先の薬局で息子を亡くしたショックで間違えた処方をしてしまった店主のガウワーさんのミスに気づき、機転と勇気で事故を防いだりという子供時代のエピソードだけからでもわかるほど。

そんなジョージはやがて青年になる。父が利益を追求しない住宅金融を営んでいるため、高校卒業後、友人たちが大学をそろそろ卒業という頃まで自分の進学資金を稼ぐ。仕事の引き継ぎもおえ、ようやく町を出て大学へ!と計画していたのだが、父親のとつぜんの不幸で住宅金融を継ぐことに。学費は弟ハリーの大学進学資金として譲り、ハリーは町を出て大学へ。

一つ夢破れるが、住宅金融としては信頼が厚く、ただ一人彼を良く思わないのは賃貸で稼ぐポッターであったが、それなりに平穏な生活を送っていた。

やがてハリーが大学を卒業、それを迎えに行くとハリーはルースという女性と結婚しており、ルースの家族が経営するガラス会社を継ぐという。ハリーに家業を任せ、今度こそ町を出たいと思っていたジョージは複雑な気持ちを抱える。

そんな時、母に促され、友人の妹メアリーと結婚。新婚旅行で海外へ!と、張り切るのもつかの間、銀行で問題が発生。新婚旅行の予算を使い危機を乗り切るが、また世界への道を閉ざされることに。

そんなこんなで小さな町から出ることなく、耳の障害があることから戦争にも行くこともなく、戦争もいつしか終わり、家族も増え、彼としては平凡な日常を過ごす。

そんな日々を繰り返したとある12月24日、事件が起こる。

ハリーが戦果を上げたため表彰されることとなり、それは新聞にまで掲載されそれを心から喜ぶジョージと共に働く叔父であったが、上機嫌でお金を銀行に預けに行った叔父がお金を紛失してしまう。どこを探してもお金は見当たらず、失意の中、ジョージは吹雪の中冷たい川が下に流れている橋へ…。

 

そこでまだ翼を持たない2級天使を名乗るクラレンスという男と出会い、不思議な体験をさせられ、とんでもない世界を見ることとなり、というお話。

 

度重なる夢の妨害。ジョージには正直常につまらないという気持ちがどこかにあって、時に苛立ちや、町を出て大きなビジネスをする友人たちへの羨ましさから、棒に振ったチャンスを思い出しては考え込むこともあります。

でも、懸命に父親の残した住宅金融で父親の遺志を継ぎ大きな儲けを追求せずに地道に働くが貧しい家族でも家を持てるように、また、そんな人たちが我が家を持った際には共に喜び、と、彼もまた地道に働きます。でも世界はいっこうに広がらず、小さな町だけが彼の全てでした。

まさに、こんなはずじゃなかった人生です。

でも、町を歩けば顔見知りが声をかけてくる。家に帰れば、そんな小さな町に愛着を感じている素敵な奥さんと4人の子供たちが待っている。意外と幸せなんですよね、意外と、というか、視点を変えれば。

でも人の常として、隣の芝生は青いという言葉もあるように、目の前にあるものより、もっと良いものがあるんじゃないか?と思ってしまうのでしょうね。

そんなところにお金の紛失というピンチ。

この人生はなんだ?!ちくしょう!おまけに娘はクリスマスだっていうのに風邪をひき、それを半ば八つ当たり的に注意した娘の担任の旦那からは殴られる。祈った結果がこれか!ごもっとも!

そんな自分であるならば、いっそ死んで生命保険でも下りた方がよほど価値があるじゃないか(><)

 

そこで出会ったのがクラレンスです、最初からして2級天使らしいのですが、川に飛び込もうとするジョージより先に飛び込み、ジョージに助けさせて接触します。

天使といってもすっとんきょうなおじさんで、でも、天使仲間いわく、「純粋」で、大事にしている本は“トムソーヤの冒険”、現れた時に着ていた下着は生前妻がくれたなかなか可愛いもので、現世に調子を合わせることもないマイペースさで、ああ純真。と思わずにはいられない天使さんなのです。

でもクラレンスはジョージのつぶやいた一言からヒントを得て、彼の生まれなかった世界を見せるのです。その世界では存在するはずの人間が存在せず、過ちは正されず、町はポッターの思うまま。

そうやって、ジョージがいかにこの町に影響していたのか、彼がとっくに月を捕まえていたのだということを気づかせることに成功します。

ジョージに限らず、人一人の影響はすごいなと思いますね。

また、クリスマス・キャロルが未来までを見せられるのに対し、こちらは過去から現在のみを見せられるという対比も少し面白いです。

あとはあからさまだとしらけっちまった悲しみになりそうなシチュエーションや教訓を嫌みなく描けるのは、さすがクリスマスの本場ですね、というべきか、とにかくラストはすんなりと素直に感激できます。

 

今の時代はもっとドライだから、こんな風に状況に流されて自分のやりたいことをあきらめる人も多分少なくなって、ジョージの人生を馬鹿みたいだと感じる方もいるのかな?

でも、ジョージは夢よりも大きな奇跡にめぐり会います。それは彼が彼であったから起きた奇跡だったのです。

そういうものをかけがえがないと思える気持ちは現代にも残っていると良いなって思います。

 

メアリーさん、本当に良い奥さん。

 

以上、『素晴らしき哉、人生』についてでした。

メリークリスマス☆

『野火』

『野火』

英題:Fires on the Plain

2014年 日本 87分

原作:大岡昇平

監督:塚本晋也

音楽:石川忠

 

初見:2015年7月25日 シネマ・ジャック&ベティ

 

8月15日は終戦記念日。

夏のイベントやレジャーも楽しいですけど、この日くらいはちょっと戦争のことを考えてみたいオレンジです。私自身、もちろん体験者じゃないですが、父が死体の中を逃げたことや、ひもじくてしかたなかったと、当時のことを話してくれたり、母が乳幼児期の記憶としておばあちゃんの背中におんぶされてすごく熱く煙い中を逃げたということがあったと、(子供の頃の夏休み、おじいさんおばあさんに戦争体験を聞いてみましょうと、でも、私は少し遅くに出来た子供だったので父母の体験談を)聞きました。

ちょっと脱線しましたが、とにかくこんな事が日常になる世界になってはいけないという思いにさせてくれるのがこの『野火』なんです。

 

さて、『野火』。

敗戦間近の頃のフィリピン、レイテ島で肺を患った田村一等兵の見た戦争の、名誉の戦死だとか美談になってしまいかねないような部分をすっかり削ぎ落とした、一般兵の現実を描いた作品です。

精力的に全国各地の映画館を訪問していた監督いわく、この作品を通して戦争を追体験してほしい、戦争って本当に嫌だなと肌に感じてほしいとのことで、目をそらしたくなるような描写もたくさんありますが、それをアトラクション的に…というと遊びのようでふさわしい言葉ではないかもしれませんが、強く強く〈体験〉させてくれます。

 

まず初見時の感想は「人間が人間じゃなくなる。」という一言でした。

驚いたことにこの『野火』を観た後、古い作品もあるということで、市川崑監督の『野火』(1959年)を観たら、1959年当時の映画のキャッチコピーとして「人間が人間でなくなる」と、全く同じ言葉が使われていたので、これは、本当にそれが狙いで作られたのだと感じました。

どう人間でなくなるのか?あらゆる意味で人間でなくなります。

砲撃に遭った兵は、一瞬で異形のものとなり人間でなくなる。飢え乾き、行き先を見失ったものは生ける屍となり、人間でなくなる。生き残ったものは、誰が味方なのかすら思考できなくなり心が人間でなくなる。

こんな具合に、自分を含め、皆の人間らしさが失われてゆく中での田村の絶望の歩みが描かれています。

 

そして、最初から最後まで作中に流れる不条理感。

なぜ人と人が争うのか?味方と味方ですら争うのか?ここまで飢えなければいけないのか?

自分の目の前で自分と変わらぬ人間がいとも簡単に倒れていくのはなぜなのか?それを見ているだけなのはなぜなのか?また、その屍をまたぎ、歩き続けるのはなぜなのか?

この戦争はいったい何であるのか?

こういった疑問が始終ついて回ります。

孤独な道中で、田村が他の隊の伍長たちと合流する場面があり、ここでパロンポンへ向かえばセブへの船が出ることを知らされ、行動を共にすることになるのですが、その中の一人が別の場面で、ついてくるかこないか「あんたは自由だぜ。」と言われます。自由という言葉はこんなに心細く絶望にあふれた言葉だったろうか?と思わされる瞬間です。

他にも、生きるか死ぬかの状況を共有しているにもかかわらずけちな商売をする安田や、そんな安田に依存する永松。

そして監督のおっしゃっている美しい自然と、そんな美しい景色の中に血が流されているというコントラストで、見ていて簡単に「何やってんだ?」と。

こういった不条理がこの映画には溢れているのです。

 

だけど、意外にこういう不条理感は他人事ではなく、問題の大小を問わなければ身近でも感じることなんですよね。小さな喧嘩。出し抜いてやろうといういやらしさ。人よりより良い思いをしようとする心。すべて戦争への小さな一歩になるんですよね。

だから、私たち個々の人間が常に自分は不条理であると思って生きることが、不条理の向こう岸へ進むのには必要なことなのじゃないかと思います。

 

このタイトルで語るのはちょっとずれてしまいますが、1959年版の『野火』の方が、そんな〈普通の人〉が抱えている不条理感や、非常時の静かなる狂気が際立っているような気がします。

 

一方、塚本監督の作品の多くでそうであるように…と、私が感じているだけなんですが、技術ではなく、音響によって映像を3Dとしてみせる技法があり(と、これも勝手に思っているだけです(汗))より〈体感〉できるのが2014年の『野火』かと思います。

 

なんだか結構、自分の中で2作観ちゃったから二つで一つの感想になってしまって、ごちゃ混ぜで申し訳ありません。

でも1959年版を観るきっかけになったのが、2014年版なので、こちらをメインに書かせていただきましたが、両方観ると更に理解が深まる二つの『野火』を、このブログに目をとめてくれたあなたは是非!

 

「たといわれ死のかげの谷を歩むとも ダビデ」

(原作、冒頭より。)

 

以上、『野火』についてでした。

『紳士は金髪がお好き』

『紳士は金髪がお好き』

原題:Gentleman Prefer Blonds.

1953年 アメリカ 91分

監督:ハワード・ホークス

 

6月はマリリン・モンローの誕生月、7月はふふふ~んで、8月5日は命日です。

そう、6月に思い立って書こうとしてたのに、私事ですが生活リズムに変化がありまして、ただでさえ少ない更新が更に更に遅れ、マリリン・モンローの誕生月を逃してしまい、言い逃れのこんなタイミングにしてしまいました。

でも、せっかく書けたからマリリンを観よう!

 

没後56年、彼女自身の人生に関しては、不遇であったり、謎の最期に関して今なお囁かれる陰謀だとかなんだとか…

色々あるけれど、全部まとめてマリリン・モンロー、ノーマ・ジーンが好きだ。

そんな彼女の出演作の中で私が最も好きなのがこの『紳士は金髪がお好き』。

男前なジェーン・ラッセルとの対比でその柔らかさや可愛らしさが際立って、目に麗しく、歌声は『ショーほど素敵な商売はない』の中で「口にマシュマロを含んでいるような」と表されるくらいにソフトで、かといってメリハリがないかというと全くそんなことはなく、非常に耳に心地よいのです。

そんなマリリンの魅力がいっぱいのミュージカルコメディ『紳士は金髪がお好き』。

どうぞおつきあいください。

 

ローレライ・リー(マリリン・モンロー)とドロシー・ショー(ジェーン・ラッセル)は親友同士のショーガール。親友同士とは言っても性格も恋愛観も正反対で、お金を使うことに気を遣う相手では愛もへったくれもないという感覚であるローレライに対し、ドロシーはお金よりもロマンティックな恋愛を求める女性。

ローレライの婚約者ガスは財産家の息子で会う時にはいつもプレゼントを欠かさない、ちょっとヌケた男性。ローレライとパリで挙式を行う予定が、ガスが一緒に行けなくなったことで、監視役としてドロシーを伴い、女二人の船旅となる。

が、ローレライを良く思わないガスの父親がさらにマローンという探偵を雇い泳がせる作戦でもあった。

そしてさすが豪華客船、乗客も様々で、ローレライが放っておくはずがないダイヤモンドの鉱山を持っているビーグマンという富豪の老人が現れる。早速色仕掛けに走るローレライ。一方ドロシーは正体を知らずにマローンに好意を抱いてしまい、こんな状態で平穏に終わる訳もなく…というお話。

 

最初から最後までマリリン・モンロー、ジェーン・ラッセル双方の魅力と、ユーモアと歌にあふれていて、非常に明るく、また、ちょうどそんな風に変わってゆく時代背景などもあったのでしょうか?女性のたくましさというものも感じさせられます。

 

それを強く感じるのが、ドロシーとオリンピックチームの青年たちとのやりとりの中で歌われる「Ain’t there anyone here for love.」

簡単に言うと「力強い男性に頼りたいけど、楽しませもして欲しい。」的な守られるだけの女じゃない!という歌で、それだけだと身勝手な女にしか感じませんが、ジェーン・ラッセルが歌うとすごく頼りがいのあるイメージから可愛げのある女性へと見る目が変わります。

ちょうど良いんでしょうね、いわゆるツンとデレの割合が。

そのちょうど良いツンデレがマローンに対しても発揮され、親友を傷つけるやつは誰であろうと許せないのに、あなたは…な揺れ具合も素晴らしいです。

 

ローレライは良い子で、頭も悪い子じゃないんだけど詰めが甘いところがあってドロシーのために乗客リストで「執事付き」の乗客をチェックして、有名な資産家を自分たちのディナーテーブルに呼ぶのだけど大失敗。ドロシーの「How am I do?」が笑えます。

また自分は百戦錬磨だと信じてダイヤモンド王を上手くたらし込めたものの、二人で会話抜きでは誤解される場面を写真に撮られていたり、そのネガを取り戻す計画もどこか見通しが甘く、子供に助けられたり、とんでもないパーティーを開いたり。

そのまごう事なきコメディエンヌぶりはぜひ映画を観て堪能してください。

個人的には、船の客室に入って発する二言目の言い方の抜けた感じに注目していただきたいです。

 

そんな波乱の船旅も終わり、パリで早速ショッピングを楽しむが、また問題が…

行く当てをなくした二人はやむなく、またパリでキャバレーのショーガールへと返り咲き(?)。思い切った切り替えがサッパリしてて良いですね。

そんなローレライの元に話をしたいと訪ねてきたガスへの素っ気ない態度、そこからまるで本心を当てつけるように歌われる「Diamonds are a girl’s best friend.」。

この時のマリリンの輝きはダイアモンド同様、永遠ですね。(ダイアモンド持ってないから、どんな輝きか知らないですけど(汗))

マリリンのプラチナブロンドにピンクのドレスが最高のコンビネーションで、本当に、シンプルに、是非観てください!とお願いしたい気持ちでいっぱいです。

 

さて、そんな最高潮を迎えた後、ローレライの元へ警察が着たと支配人が大慌て。

先ほどの「問題の中の」「もう一つの問題」の裁判になってしまいます。

ここでドロシーが一肌二肌脱いでローレライに化けて、歌って踊って、法廷は大混乱になるけれど、ドロシーのある告白で温和に一件落着。開廷前とは打って変わって優しさいっぱいのハッピーエンドに。

 

一方ローレライにとってはここからが肝心。ガスとの結婚を認めてもらうためにはガスの父親の承諾が必要。それはなぜかと言えば、ガスの価値はイコールガスの父親の資産だからである。

そのお金に執着する考え方がたくさんの問題を引き起こしてきた原因で、なおそれを説明しようとする彼女はとんでもなく感じられるけれど、意見を聞いたらやけに納得。確かにそういう理想もあるけれど、現実はどうにもこっちだなぁと思わせるもの。そんな彼女の見事な論理にガスの父親も感心し、こちらも一件落着。

晴れてすべてがハッピーエンド。

 

と、コメディなんですが、笑いのあるドラマとしても十分楽しめる傑作です。

ぜひぜひ、この機会にマリリン・モンローの魅力を体験してみてください。

 

以上、『紳士は金髪がお好き』についてでした。