『特攻大作戦』

『特攻大作戦』

原題:The Dirty Dozen

1967年 イギリス・アメリカ合作 150分

監督:ロバート・アルドリッチ

 

戦争の、どっちの国が良いの悪いのを除いての映画としての感想です、ね。

 

これ、すごい好きなんですよね。カラッとしてて泥臭くて、笑いもたっぷりでわかりやすいし。

 

ライズマン少佐は軍の規律にとらわれない、その気概を買うものもいれば疎ましく思う上司もいるだいぶ型破りな男。周囲のそんな感情もあり、志願したというていで無謀と思われる作戦を任される。

殺人や強盗などにより死刑を待つばかりだったり何十年もの重労働の刑を課せられたフランコ、ブラデク、ジェファソン、ピンクリー、ギルピン、ポウジー、ウラディスロー、ソーヤー、リーバー、ブラボス、ヒメネス、そしてマゴットの12人の囚人を小隊としてまとめ上げ、来たるべきDデイに向けて兵士として育ててゆくのですが、最初はまとまりがなかったのに徐々に団結してゆき、やがて立派な軍人になってゆく様、そしていつしか深くなった絆が本当に心に響くお話になっています。

 

直情的で反抗的で事あるごとにライズマンやMPのバウレンに食ってかかり、みんなの不満を代弁する形で意図せずに12人の同調、一致をもたらし引っ張ってゆくフランコ。

フランコとは逆で冷静に様子を見ながらその時々に最適な提案をすることで陰から支えるウラディスロー。

主にこの二人が12人を団結させるキーになるキャラクターなんですが、ほかの者も個性は甲乙つけがたく、こいつがこうだからあいつがああで、そうするとみんなこうなる。というような絶妙な役割分担が見ていてうならされます。

ライズマンをよく思わないブリード大佐側とライズマン側のやりとりもいちいち面白く、極秘の部隊と知らされたブリード大佐に迎え入れられるときの楽隊のタイミングの読めない指揮者は大好きな音楽で軍にお仕えできる喜びを持っていると思われる満面の笑みでやらかすし、この訪問で不快感を示したブリード大佐が強硬手段で視察というかけん制に来たときのコケにされっぷりといったら、楽しいいい!

降下訓練成功のささやかなパーティにライズマンは街の女を呼んで11人のお客として招き入れ、そのときの11人の、まるで初めて女を見たかのような表情や間で楽しまされかと思えば、その後、上層部にばれブリード大佐の思惑通り解散の危機にさらされ、それをチャラにするための演習への参加で、彼ららしくルール丸無視の作戦であっさりやり返すのもワクワクしてくるんです。

 

で、で、とにかくリー・マービン演ずるライズマン少佐がかっこよくてね。強くて優しくて熱いのですよ。

ロープを上れないヒメネスの今まさに上っているロープの足下を銃で切り落して問答無用で上らせるし、本当は優しいが感情と力のコントロールが出来ないポウジーを煽るし、訓練は超厳しい。

でも、どうしてそこまでするのかといえば、彼らを刑に処させないため。

一人でも逃亡すれば連帯責任で全員刑務所戻り。逃げようとする者と止める者との殴り合いのケンカがあれば、一段落ついたタイミングで来て「石けんで転んだのか?」なんて聞いて、見なかったことにする懐の深さと彼らに対する信頼感。

 

MPのバウレン軍曹の存在も大きい。

この人なしでは物足りないどころの話ではなく、原題の「Dirty dozen(汚らしい12人)」のフレーズも出てきません。

ライズマンの意を汲みつつ、12人にも上官たちよりもやや近い距離で接しているから良いクッションになっているんですよね。夫婦関係で言うなら内助の功と言うべき欠かせない人です。本番の戦闘時にもそこここでナイスサポートを見せてくれます。

 

そして厳しくも楽しかった彼らの訓練終了、そして本番を迎えます。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を思わせるつかの間の宴からの流れるような現実のシーンへ。

Dデイ前夜、すべてが練習通りに運ぶはずもなく、そんな不測の事態に見舞われながら多くの者が命を落とします。

でも彼らの最期は囚人としてではなく立派な軍人としてであり、十分すぎるほどの活躍を見せてくれます。(ちょっとやり過ぎたりしますが)

これはぜひぜひ映画で!そして語りたい~!

 

余談ですが、初めて観たときに音響の使われ方が非常に効果的に感じられて良いと思ったのですが、音響の何かの(失念しましたすみません)賞を受賞してたんですよね、そんな自分の感覚に自信も持っちゃった作品です。

 

と、いうわけで

 

以上、『特攻大作戦』についてでした。

『ロッキー・ホラー・ショー』

『ロッキー・ホラー・ショー』
原題:The Rocky Horror Picture Show
1975年 イギリス・アメリカ合作 100分
監督:ジム・シャーマン

 

トリック・オア・トリート!
というわけでロッキー・ホラー・ショーです。
実は私、この映画の仮装をして映画館で踊っていた時期があります。(笑)
「(笑)」とはつけたものの、黒歴史とは思ってないですね、楽しかったですよ、本当に。
それほどに、ハマる人にはハマる映画だと思います。

 

ごく普通の、奥手でウブで、でも興味は年齢なりにしっかりあるブラッドとジャネットというカップルが、友人の結婚式をきっかけに自分たちの婚約も成り、雨の中、恩師のところへ報告に向かうが、車のタイヤがパンクしてしまい、電話を借りに入った屋敷は普通ではなく…という、お話の、ロックミュージカルの舞台がオリジナルの映画。

 

上映され始めた頃、あまりにも退屈な映画なので、シーンごとにツッコミというかヤジというか、ともかくやかましく観るのが定番となったそうです。
ちなみに世界で一番ロングラン上映されている映画だったはずです。
途切れず上映されるということは、常に新しいファンがついていることですね。私もその中の1人だったということです。
25周年のDVDのボックスのキャストインタビューの中で、例えられている表現を使うと、それは“はしか”のようなもので、ある種の人たちにとってこの映画への熱狂は必ず通る道なのだということが言われていましたが、その通りだと思います。
そのはしかの後遺症を残した人も私を含めたくさんいますが、そのくらいに心の琴線に触れる人には強く触れる映画です。
何度も「~な人には~です」という表現を使ってしまいますが、ここが人種の分かれ目になるくらい“何かしら”の目安になるものだと思います。

 

内容ですが、風変わりな青春映画のようであり、お約束のあるギャグもたっぷり交えつつ、哲学的であり、倫理観、宗教的なメッセージは含まないように制作時に言われたそうなんですが、やはりメッセージ性なんかも感じますね。

 

まず屋敷でブラッドとジャネットを迎え入れるのは不気味なせむしの男リフ・ラフに、これまた不気味なメイドのマジェンタ。
この時点で二人は既にひいてるのだけど、まるでアリ地獄のように屋敷で行われている主人を祝うためのパーティに参加させられる。
パーティでの曲ははサイケデリックな装いでみんなが踊るThe Time Warp!狂気と衝動を讃える歌かなと思います。
これね、まずは左へジャンプ、そして右へステップ、腰に手を添えて膝をぴったり閉じて、つきだしたらクレイジー♪
ダンスはストーリーテラーが詳しく教えてくださるのでご心配なく。
この曲が終わると、後ろからエレベーターが降りてきてこの屋敷の主人フランクンフルターが登場!

 

この主人や住人はじつはトランシルヴァニア星からきた宇宙人だった!
しかも禁断の人造人間の実験を行なっていたのである。この人造人間がロッキー。
しかしこのロッキー、外見はフランクにとって最高のものだが、生まれたばかりで何も知らない子供も同然なのである。

 

訳の分からぬまま、夜、別々の部屋に通されたブラッドとジャネットはバイセクシュアルのフランクによってそれぞれヴァージンを奪われ…といっても無理やりではなく、二人共どこか乗り気。
見られているのも知らずになんということでしょう~。

 

色々盛り込まれていてごちゃごちゃなのですが、犬をけしかけられて逃亡したロッキーを覚えたての快楽で癒す、意外と好き者だったジャネットや、ここに囚われていた甥のエディを探しにブラッドとジャネットの恩師Dr.スコットが訪れてきたり、人肉食のディナーに、セクシーであけすけなフロアショーに、裏切られたフランクが、その悲しみから事の経緯を弁明する曲が始まっちゃって、最後はああーーーというような…。

 

そんなストーリーがロックにのせて不条理ながらも軽快にすすんでゆきます。
その感覚はと言えば、使用したことはないけれど、ドラッグを飲んだような感覚といえば良いのでしょうか?
Don’t dream it. Be it(夢になりなさい)という言葉がすごく印象的です。みんな心の底に理想や妄想を抱えているんですよね、すべてを解き放ち、その理想になるのか、自分を飼い慣らし押さえるのか。
犯罪行為はもちろん解き放っちゃだめですよ、ただ、この映画を見ることでそんな自分の表には出せないけれど秘めた内面を理解して、自分の心の中で肯定してあげるのは大切かなと思います。

 

最後に夢から覚めたブラッドとジャネットの歌とストーリーテラーのお話が締めてくれるのですが、そこがすごく好きです。
それから、全部見終えたあとに歌詞を少々変えた再度かかるオープニングの曲が流れますが、オープニングの時点でほぼ説明されています(笑)

 

以上、『ロッキー・ホラー・ショー』についてでした。

『引き裂かれた女』

『引き裂かれた女』

原題:La fille coupèe en deux

2007年 フランス 115分

監督:クロード・シャブロル

 

ケーブルテレビ局でお天気キャスターをしているガブリエル・ドネージュ。見た目も魅力的で、天真爛漫であったが、サン・ドニという作家や、ポールといういわゆる七光りの実業家との出会いと、その二人との関係によって彼女のすべてが壊れてゆくお話。

 

作家のサン・ドニは本名をシャルル・ドニといい、快楽主義者であり、妻を持ちながら、また妻に不満があるでもなく、ただただいろんな女を囲う遊び人。

一方ポールは、一途といえば一途だが、育ちによるものか、欲しいものは何でも手に入れなければ気が済まない、一括りでは言えないが、多くの人が想像に容易い成り上がりのお坊ちゃん。

 

この二人に言い寄られるガブリエルだが、ポールとは友達でいたいため、結果、思わせぶりになってしまい、シャルルに対しては父性やその体験に伴って成熟しているように見える物腰に惹かれ、のめり込むが、ある時を境に部屋の鍵も変えられ、結局捨てられてしまう。

落ち込みの激しいガブリエルに見かねて、ポールと出かけるように母親に促される。

あくまで友達でいたいというガブリエルにいよいよ激高したポールに怯え、結婚を了承してしまうのだが、結婚生活、主に性生活の中にちらつくシャルルの痕跡に嫉妬してポールはさらに怒り、関係はぎくしゃくしたものとなる。

 

といった具合に、出会いとタイミングがすべて悪かったなとつくづく感じる作品でした。

それにしてもシャルルのような男はなぜ放っておいてはくれず、自分は離婚はしないがポールとの結婚については早まるなと忠告しに来たりするのかと、嫌な気持ちになりました。

ガブリエルは本当に平凡で嫌みのない女性なのに、まるで、土足でドカドカと踏まれ汚されてゆく雪(ネージュ)を見るような気持ちでした。

また、そんな彼女だからこそ、身も心も汚されたとは思わず、自分を追い込んでしまうのがつらい。

結末は衝撃にて静かな悲しみで淡々とすべてが終わるのですが、長い一日の中のほんのちょっと歯車の狂った一瞬として振り返らずにゆくしかないわけで、でも、その一瞬はそうそう忘れることも出来ない瞬間で、大人になるってこういうことをやり過ごすことの繰り返しなのかなと寂しい気持ちになりました。

 

この物語の中のガブリエルという役柄は、感情をぶつけるシーンがあるわけでもなく、発狂しちゃうわけでもなく、演技のさじ加減というか、表情なんか難しいと思うのですが、最後まで違和感なく引っ張られるので、結構、気にしてみると女優さんにも感動します。

 

最後、ガブリエルは、叔父のやっかいになりお手伝いをすることになり、本当に原題の通り真っ二つに引き裂かれます。

 

以上、『引き裂かれた女』についてでした。